夜と朝の境目になると親父は波打際へ向かう

錆が目立つトランペット片手に

 

親父は波打際でトランペットを吹く

名もなき音の外れた曲を奏でる

 

母は僕が幼い頃に家を出ていった

母のために父は音を奏でるという

 

おかあさんは大切な仕事をしているんだよ

親父は僕にそういった

 

僕は知っている

母は外に男が出来たから居なくなったことを

 

昼と夜の境目

夕飯を買いに出かけた親父の隙を伺って車がやってきた

時々その男と母は遊んでいた事を僕は知っていた

母とその男は二人で母の荷物を車に載せた

最後に母は僕に手を差し伸べた

僕は手を出さなかった

二人が消えたころ父は戻ってきた

僕は寝たふりをした

父が寂しそうに僕を起こした姿をいまだに覚えている

 

父と二人で永い間岸辺の小屋で暮らしてきた

大した事件もなく歳を取り僕は成人した

僕は家を出る事に決めた

僕が家を出てからも父はずっとトランペットを吹いているらしい

 

そんなに辛いのならどうして止めなかったんだろか

 

大人は複雑だ

大人になるのが怖かった

もう大人だ

嫌だ

嫌だ

嫌だ

 

『鯨』

 

見境なかった

何すればいいかわからなかった

僕は其処にいた

 

海岸

砂に横となった

 

人生の目標

この世界で遊ぶ事

 

僕は何をしたらいいんだろ

遊ぶためには何が必要なんだろう

 

わからなかった

わからなくなった

意識を失いつつあった

 

親父と別れてから

小屋を離れてから

数え切れないほどの時間を経た

 

あの頃産まれていなかった人間が物心ついた時間

僕は何をしたのだろか

覚えているが話したくない

本当にみっともない話

わからなかった

わからなくなった

 

僕は大人

分別のついていなければならない歳

所帯を持ち落ち着いた生活を送る世代

僕はそんなのではなかった

この世界でひとりぼっちじゃないか

孤独じゃないか

首を絞めようか

息を止めようか

死のうか

潜ろうか

砂となれるなら歓迎する

 

そんなこんなで僕は海岸で横となっていた

誰しも僕をこのまま無視していてください

その事をひたすらに祈った

 

仕事があるんだよ

意識を失っていた頃何か聞こえた気がした

僕は見上げてみた

夜空の星を光が覆っていた

眩しくて仕方がなかった

 

こっちだよ

呼びかける声に反応した

黒ずくめの男が立ち尽くしていた

 

こんにちは

男は仰々しく挨拶をした

僕は会釈した

 

男は僕に仕事を紹介した

簡単な仕事らしい

内容は教えてくれなかった

芸術に関わる大切な仕事という事だけわかった

僕は断った

男は残念そうに口を噛んだ

また来るよ

そういって町の方へ消えていった

 

僕はずっと海岸にいた

何を食べて

いつ寝て

いつうんこしたか

よく覚えていない

しかし生きていたという事はそれを確実にこなしていたという事だ

自慰をしなければ夢精をする

当然の事

 

厄介な事に男は事あるごとに僕の前に姿を現した

僕は彼に対していい返事をしなかった

彼も暇なんだろか

 

僕は其処にいられなくなった

工事を始めるらしい

ヘルメットを被った男たちが材木を海岸に投げ捨てた

海岸は柵で覆われた

関係者以外立ち入り禁止

僕は関係者でなかった

 

それから僕はあてどなく彷徨った

生きる気はなかった

すぐに立ち止まった

 

仕事があります

芸術に纏わる大切な仕事です

僕はその誘いを断れなかった

死ぬのが怖かった

 

僕は男に案内された

アパートの一室

血と蝿と肉片

男は沢山のバケツを床に置いた

様々な色のインクを其処に注いだ

僕は仕事を得た

僕は自分の肌にインクを漬ける

ぶちまけた

壁を塗りたくった

気の済む限り

インクで破裂した

ある日男は喝采した

天職ですよ

男と握手した

部屋を見渡した

芸術だった

男は僕に報酬を渡す

大金

僕は固辞した

何もしていない

男は受け取らなかった

渋々僕は手にした

それからずっと僕はあらゆる一室に男の案内でお邪魔した

芸術を演じた

他にする事はなかった

暇潰しだった

一体何をしているのか時に考える事もある

社会的に不味い事をしている可能性もゼロではない

どうでもよかった

死んでいるようなものだ

何をしようとかまわない

僕は孤独

ひとり

ひとり

ひとり

 

ある日女がいた

女は僕をみた

僕はかまわず仕事をはじめた

女もカラフルとなった

女は僕を見る

瞳は真っ黒

ドギマギとする

いけない事をしている気がした

僕の手は止まった

つづけて

女は声を出す

つづけて

続けられない

会話が始まった

「あなたの姿をみせて」

女は僕を凝視する

充分見ているじゃないか。

僕は声に出せなかった

「私はこのまま壁のシミになるの」

女は壁にじっと固まっていた

「此処は私の友人の家だった

「友人は借金取りに追われて自殺した

「私は友人の代わりに此処にいるの」

よくわからない話だった。

事情を汲み取れるほど僕は今の仕事を理解していなかった。

何が起きても僕は全てをカラフルにする事に集中した。

女がカラフルとなっている事からわかる通り今日も同じ事だった。

女の瞳だけは真っ黒だった。

僕はインクを使い切るほど女に対してぶちまけた。

それでも女が深まっていくだけでその瞳に色が混ざる事はなかった。

黒以上にドスの効いた色はない。

そういう事なのか。

男がやってきた。

女の瞳だけは真っ黒だが概ねカラフルな様子にご満悦のようだ。

僕は男に導かれてこの部屋を出る。

女は居残った。

僕は伺った。

男は教えてくれなかった。

今まで染めてきた部屋は今どうなっているんですか。

いきたいならきくな。

それが返事だった。

 

ある日僕は外にいた

それは隙間の出来事だった

僕は支給されたカッターシャツに下半身は丸裸だった

関係なかった

僕は自由だ

ある男が僕に名刺を差し出した

画家だった

男は僕の絵を描きたいと申し出した

僕はそれを承諾した

海の見える部屋だった

僕は其処で男に全てを差し出した

過去。

今。

未来。

僕は自分の事が好きじゃなかった。

男は僕を描ききった。

その瞬間男は潰された。例の男が僕を見つけ出した。

僕は自分の仕事を放り出していた事を思い出した。

男に連れられながら僕は絵を見た。

そのものの顔は異形だった。

人ではない。

鮫。

人じゃない。

鮫。

僕はいつから人ではなくなったのか。

最初からなのか。

わからない。

それからずっと仕事をし続けた。

脇目をふらず。

何を起こらず。

時を経た。

ある日。

仕事が終わった。

その日は何一つ変わった事はなかった。

あるときまでは。

急にそれは来た。

壁が揺れる。

地震

地震

カラフルな天井が落ちる。

カラフルが混ざる。

僕は死ぬのか。

死ななかった。

数時間後目を覚ます。気を失った。

なんとか立ち上がる。

天井を崩して僕は地表へ飛び出した。

雨が降っている。

周りを見渡す事を躊躇した。

総ては破壊と絶望。

僕は隣を見た。

真っ赤。

あの男が頭から血を流して倒れていた。

目玉が飛び出していた。

死んでいる。

カラフルではない。

赤だ。

それは血だ。

生きている証だ。

現実感がやってくる。

今、生きるか。死ぬか。

リアルの追及がはじまる。

津波がやってくると誰かが叫んだ。

耳障りなサイレンが響く。

鳥が飛んでいる。

人が走っていく。

僕は立ち止まる事を許されなかった。

少年が必死の形相で僕を呼びかけた。

僕は必死に走っていた。

必死に。

津波はやってきた。

僕はそれを高台から見守った。

街が潰されるのを目の当たりにした。

人々は圧巻の目でそれを見守る。

これからどうしようか。

なにをしようか。

的外れな考えが頭を寄せる。

天変地異を目の前にして僕は喜んでいる。

不謹慎だと思える心があった事に喜んでいる。

僕は屑。

この世に邪魔な存在。

死んでやろか。

死んでやろう。

飛び降りようとしたが、できなかった。

僕には勇気がない。

だからこれまでも。

振り返る気はなかった。

ただ落ち込んだ。

総てが波に押しつぶされる光景を目の辺りにしながら。

ただ落ち込んだ。

 

 

僕は困った

集団生活に慣れていない

極限の被災者生活は僕の精神を困らせた

僕は避難場所を飛び出しては帰ってくるという支離滅裂な行動を繰り返した

自分よりも歳下の若者に頬を殴られた

惨めな気分を味わった

配給のパンとミルクを食したとき涙が止まらなかった

惨めな想いを抑え切れず僕は歌を歌った

その歌は歓迎されなかった

音痴だったから

プロのミュージシャンがギターを演奏している

それをみんなは歓迎した

僕には芸術も社会もなかった

芸術なんて煽てられながらやっていた事はといえばアレはなんだ。ゴミクズじゃないか。

僕は徹底的な今までで一番の孤独を痛感した。

生きてはおけぬ。このままでは。

でも死に切れなかった。

死ぬのが怖い。

絶望が足りない。

死ぬのが怖い。

怖い。

 

避難場所の人々は其々の場所へ帰っていく。

僕は帰っていく場所がなかった。

ずっと其処にいた。

ある日肩を叩かれた。

この場所を閉めなくてはなりません。

貴方には帰る場所がありますか。

僕は首を縦に振った。笑顔した。

日常が戻りつつあった。

さて。何処へいこう。

いくあてどなかった。

興味寄せるところもない。

希望がない。

僕は直ぐに挫けた。

地面に吸い込まれる。

涙が止まらない。

何処へいけばいいんだ。

殺してほしい。

生きるのが辛くてたまらない。

死にたい。

死にたい。

死にたくてたまらない。

 

死ねなかった

だから僕は生きて仕事をはじめた

名前を出す事も憚れる恥ずかしい仕事だ

興味がなく、する事が辛くて堪らないから欠勤が続き首になった

また新しい仕事を探す

にっこりと笑って面接をする

そしてまたいけなくなる

首になる

その繰り返し

 

生きるのが辛くなった

しんどくて堪らなくなった

もう動けない。

そんな気がした。

 

そんなある日

夜の繁華街を彷徨っていたら

あの女を見かけた

あの黒目の印象的な女

僕は人混みをかき分けて女を目指した

輪郭が乱れていく

誰が誰かわからなくなる

僕は必死に汗をかいて追いかけた

漸く追いつけたと手を伸ばしたときそれは幻となってしまったと理解した

女は女ではなかった

僕は謝り人混みに消えていった

 

ずっとずっと歳を取る

生命が消える

儚くなる

 

僕は病気となりそれから直ぐに息を引き取った

無縁仏だった

僕は医者にお願いした

僕を砂浜に捨ててください

僕を粉々にして僕という骨を、僕という哀れな生命を支えてくれた頑張りもののこの骨を讃えてやってください

医者は了承してくれた

 

これで終わりとなります。

僕が語れ得るのは之しかありません。

僕は僕の話しかしませんでしたが、それほどまでに僕という生涯は閉じられていました。

その是非は皆様に問いますが、僕は僕なりに楽しかった事だけは伝えておきます。

然し何処かの胸の奥がキュッとなるのは気のせいでしょうか。

すごく、すごく、キュッとなります。

なにか、やり残したのか。

それでも取り返しはつかない。

総ては終わったから。

 

-終-